記事の詳細
共働きの末に一緒に過ごす時間も、心も離れて行った
1、 女性ですか?男性ですか?
男性
2、現在の年齢はおいくつですか?
45歳です。
3、結婚したのは何歳ですか?
25歳のときです。
4、お子さんは何人いましたか?
2人
5、結婚して何年目に離婚しましたか?
18年目です。
6、 離婚の一番の原因は何でしたか?
お互いの残りの人生の過ごし方、そして住まいの考え方
7、 どのような離婚形態でしたか?
協議離婚
8、 弁護士さんなど、法律の専門家に相談しましたか?
相談はしませんでした。
9、 あなたの離婚体験談をお願いします。
家内とはお互い大学を卒業して、1年目に結婚しました。すぐに子供の立て続けに授かり、仕事も順調で本当に幸せでした。しかし、結婚する前に話ししていたこと、そして40歳を前にして行き違ったことのギャップが埋まらず、離婚に至りました。もともと結婚前の人生後半の約束として最終的には「私の実家を建て替えてすもう、しかし、兼業で私の両親が趣味の範疇でお金がマイナスで行っている農業は一切手伝わない」という話をしていました。もちろん、お互いの両親の老後に関してはしっかりいっしょに見ていこうという合意はした上の話です。ここで今考えると無理があったのです。家内は都会育ち、わたしは生粋の田舎者です。家内のイメージは定年後、仕方なく田舎に引っ込むことは仕方なしという覚悟はありました。もちろん、わたしも最初はそう考えていましたが、40歳を前にして、子供も大きくなりその考え方がかわってきたのです。少し定年には時間がありますが地元に戻って、自分や家内も含めたコミュニティづくりを早めにはじめることにより、生活基盤をはやめにつくっていきたいと考えるようになったのです。この考え方に対してもちろん、家内は最初から反対です。もともとの結婚前の約束と違うからです。しかし、家内にとっては今となっては定年後であっても私の実家、いわゆる田舎生活がたえられないというのが正直なところなのです。もちろん、この長期的なライフプランについて少しづつ認識の相違が出てきていることはわかってはいましたがあえてお互い触れずにここまできました。しかし、私自身今のままではズルズルいってしまうという懸念があり、家内に切り出したのです。すつとやはり、わたしの実家に一緒に住むことはできないという即答。幸いなことに持ち家もあり、ローンも支払い終わっていました。さらに子供たちの学費もかからないということもあり、まずは別居することからスタートです。半年たったころ、家内も仕事をはじめ、家計も完全に別になってしまいました。こうなると夫婦として形を継続していくことの意味も薄れて行きます。また、いっしょに生活してこそ夫婦だというお互いの認識もあったので残る選択肢は離婚のみです。全くいがみ合うことなくまさしく人生の選択肢で特に住まい、ライフスタイルで相違が出たというだけですがこういう結末になりました。お盆と正月、または記念日などには子供も交えて食事はしていますがこれからもいっしょに生活することはあり得ないと思います。